River in the Morning

川面にたちこめる朝靄。色が失せ、グレイに染まる風景。 心の原風景のひとつ。そんなものに、私はなりたい。

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幼稚園の時間

親友、だいずがそんな話をしていたので、初めてトラックバックを使って、私も少しお話をさせていただこうと思います。




友達と遊んだ記憶、というのが実はほとんど無く。
人が遊んでいる光景、の記憶があります。
幼稚園の頃の私の記憶には、“私”以外の登場人物がいないんです。
誰かと話した、誰かと遊んだ、誰と何した、そう言う記憶が。
発達段階からして、そういう狭い世界しか持っていないのは当然なのかも知れないけれど、それにしても・・・情けない。

なので、少ない記憶から。


当時、私はピーマンが大嫌いでした。一切食べられなかった。
逆に、お肉が大好きでした。
そうしたら、お弁当に、“ピーマンの肉詰め”が入っていたんです。
幼稚園児だった私は悩みました。ピーマンは嫌い、でも肉は好き。
とうとう覚悟を決めて、ばくっ、と一口。
「あ、意外に苦くない。」
こうしてピーマンを克服しました。ある意味、母の策略にまんまとはまったことになります。



お遊戯会、と言う名だったか忘れましたが、発表会がありました。
跳び箱でした。
みんな四段、五段を飛べるんですが、私、三段しか飛べなかったんです。
当日まで、一回も成功し無くって。
本番、みながぽんぽん四段を飛んでいく中で。
私の番になったとき、先生が、跳び箱に手を掛けて、こちらを見ました。
三段にする?と目線で聞いてきたのです。
私は意固地になって、首を横に振って、手を外させました。
だあっと跳んだら、初めて、跳べた。

このときの記憶からか、自分が期待されてない、と思うと、逆にがんばってうまくいくことが多いです。
あまのじゃくなのか、本番に強いのか。



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いじめ

テーマトーク第四回目。今回は、いじめについてです。
授業でやった内容を自分の確認のためにまとめて、さらに自分の考えも足してあります。


まず、質問です。

問1;皆さんは、誰かをいじめてしまったことがありますか。

問2;今まで生きてきた中で、いじめを見たことorいじめに気付いたことはありますか。


いじめというのは、文部科学省の定義によれば、
①自分より弱い者に対して一方的に
②身体的・心理的攻撃を継続的に加え
③相手が深刻な苦痛を感じているもの
だそうです。

さらに、「いじめか否かの判断は、いじめられた子どもの立場に立って行う」ようになっています。

ただし、この「自分より弱いもの」というのは、「部分的」なものでも当てはまります。
自分より足が遅いとか、容貌が良くないとか、勉強が出来ないとか、そういったことが一つでもあり、それによって優越感を持とうとする行為がいじめになっているのです。

いじめの顕著な例をあげてみます。

ひとつめは暴力。殴る蹴るといった肉体的直接的な攻撃を加えることがあります。痣などが出来るため、わりあい追求はしやすいのではないでしょうか。
「プロレスごっこ」も、やられている側が身体的心理的苦痛を感じていると、「いじめ」にカテゴライズされます。「ふざけているだけ」「遊んでいるだけ」という認識の加害者もありえますので、一方的な攻撃が行われていないか注意する必要があります。

ふたつめは悪口。口撃ですね。こちらは心理的に直接的なダメージを与えることになります。本人の気にしていることを言ったり、罵倒したり、怒鳴ったり。手は出さなくても言葉の剣で滅多刺しです。
最近はインターネット上での誹謗中傷が増え、ネットでのマナーが問題視されてもいます。

みっつめは物を隠す。体操着や靴などを隠し、困っているのをみて楽しがります。ゴミ箱や掃除用具入れ、側溝などに隠されていることもあります。隠された物が汚れていたり、切り裂かれていたりする事もあります。犯人がわからないことが多いのがやっかいでもあります。複数犯の場合もあります。

よっつめは集団でのつるし上げ。失敗をはやし立てたり、明らかに仲間はずれにしたり。集団での無視も入るでしょうかね。集団でやっていると、加害意識が薄くなりますし、やめれば自分がいじめられるという恐怖もあって、エスカレートしやすいです。
見ているだけ、もここに含まれます。「黙認」もいじめに荷担しているのです。被害者にとっては、味方ではないという点で、黙認も加害者も同じですから。

最近のいじめは加害者・被害者が入れ替わってしまったり、集団化・陰湿化して表に出てきづらくなっていたり、エスカレートしやすくなっていたりするそうです。
加害意識のないまま苛めていたりする人も多いんじゃないでしょうか。


解決のために重要なのは、お互いがお互いの心情を理解することです。
「どうしていじめたのか」「いじめられてどう思ったか」それを理解させることが大事です。
特に、加害者側に「被害者になったら」を想像させることが大事と思います。

最近の人間は、想像力に欠如しているものが多いと思います。
「自分がされて嫌なことは相手にもしない」。
幼稚園の時に言われますよね?
それが中学校でも高校でも、あまつさえ大人になっても実行できない人間がなんと多いことでしょうか!
想像力というのは今のところ人間以外には確認されていない希有な能力です。
それをきちんと使えないのでは赤ら顔の日光の山の住人と同じですよ。


もう一度聞きます。

あなたは、いじめたことがありますか?


NOと答えた方は、問2でなんと答えたでしょうか。
いじめに出逢っていない人というのも中々に少ないのではないでしょうか?
いじめに出逢って、それに「やめろ」と言えた人はもっともっと少ないでしょう。
「知らんぷり」は「いじめ」ですよ?

自分はあります。いじめられたこともいじめたことも。
本当に嫌なものです。やられればしんどいしその記憶はずっと残る傷になる。やったことも心の中でずっしりと重たい石になっている。
あれがなければ今の自分は無い、というくらい自分の人格形成に関わっている出来事ですが、それと同時に自分の人生の中でもっとも消したい過去でもあります。

でもこの後悔があれば、自分はもういじめをせずに済むんじゃないかと思います。
敏感になることが出来ますから。
教員になっても、気をつけて見付けることが出来るんじゃないかと思います。そうしようと思います。というかそうします。



最後に、もう一度。

あなたは、誰かをいじめてしまったことが、ありますか?
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幽霊

眠れないので、書きます。


幽霊について。



皆さんは幽霊がいると思いますか?
自分はいると思ってます。理由はいた方が面白いから。
しらないもの、認識できないものがあった方が、あると思った方が、世界が広がるような気がするじゃないですか。


霊感がある人、ない人っていますが、なぜそんな差があるのでしょうか。
仮説ですが、「幽霊と波長の合いやすい人」が霊感のある人、なのではないかと思っています。
イメージとしては、ラジオ。
周波数をあわせないと聞こえないでしょう?
人によって、聞くことの出来る周波数が違っていて、その差で霊感のあるなしがあらわれるではないでしょうか。

自分は見たことはありません。が、変な声は稀に聞きます。

学校内、一年間に渡ってたびたび同じところで謎の声が聞こえれば、それは疑わざるを得ません。
しかもそこの近くに、花が供えてあるんですよね・・・。
毎回、呼ばれるんです。
でも振り向いても、誰も呼んでないっていうんですよ。
呼ぶ声も聞こえなかったと。
名前を呼ばれたような気がするのだけれど、よくよく考えてみたら本当に名前を呼ばれたのか確証が無くて・・・。
多分、「呼びかける」っていう思念だったんじゃないかと。
誰かを特定して呼んでいる訳ではなくて、たとえるならば「おおーい」くらいの、誰彼構わず働きかけているような。
因みに、一年間くらいきこえていたものの、最近はそこを通っても聞こえなくなりました。
花も置かれなくなりましたし。
成仏したんじゃないかなと思います。

小学校の頃は、校内でよく、「人の気配」や「感情」のようなものを感じていたように思います。
今の自分からは考えられないほど、人の感情が感じられていました。
目を合わせると、ダイレクトに来るんですよね。特に悪感情が。
嫌われていた・・・というかいじめられっこだったので、向けられる悪感情には事欠きませんでした。
それが痛くて、感情をシャットアウトするようになっていった、と思います。
幽霊とはちょっと違うかも知れませんが、きっとこれも「周波数」があっちゃったからだと思います。
いまでも、人間がいっぱいいるところは苦手です。
なんだか、「圧力」のようなものを感じるんですよね。
いっぱいの気配や感情が、圧力・重さのように感じられているんじゃないかと思ってます。
ほとんどのひとが感情の「重さ」は感じられると思いますよ。
「愛が重い」とか、「重たい空気」とか言うじゃないですか。
あれです、あれ。

それから、トトロやキジムナーなんかの精霊っぽいもの。
彼らは、「純粋な」存在であるために、「純粋な」子供のうちにしか、周波数をあわせることが出来ない。
よって、子供の時にしか会えない、ということだと思ってます。

この純粋な、というのは「無邪気」とかとはちょっと違います。
「知らない」ことが重要なファクターではないかと。
大人になるにつれて、人は多くのことを、感情を「知り」ます。
それによって、ひとの心、思考、感情はどんどんと複雑化していきます。
子どもは感情のバラエティを未だ知らない。
それ故、その心や思考、感情は大人に比べ単純な構造になる。
その「単純さ」が「純粋」であるということ。

受信側が「純粋」であるほど、いろいろな周波数を受け取ることが出来る、合わせることが出来るのではないでしょうか。
おおざっぱなメモリの方が、合わせるのが楽だったりとか。
すきまが空いている分、他のものを受け入れやすいとか。

まあ、見えなくて良かったと思います。
大学いっぱいいそうですもん。

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テーマトーク第二回目は、予告通り夢です。


夢は人間がレム睡眠時に見るものです。
睡眠中、人間は何度もレム睡眠とノンレム睡眠を繰り返していますが、レム睡眠の度に見る夢を、全ては覚えていないのだそうです。
最後に・・・起きる直前に見た夢だけを覚えているのだそうな。

夢は、夢を見る本人の脳内にしか存在しません。
どんなにリアルでも、それはイメージによる疑似体験に過ぎないわけです。


ならばどのようにして夢は作り出されているのでしょうか。


夢をイメージするのが人の脳ならば、そのひとが「知らないこと」は、夢の中に出てくるはずがありません。
本や映画などの間接体験であれ、すでに「知っている」ことがらが夢に出てくるわけです。

さらに、記憶のなかでも、新しく記憶したことのほうが、夢に現れやすいと思います。
なぜなら、新しく知ったこと、体験したことの方が、印象に残っていて、意識に上りやすいと考えるからです。


と、このようなメカニズムで夢が出来上がるのではと考えているわけですが。


夢の内容は、往々にして突拍子もないものです。
自分の体験した奇妙な夢は、

1。形はオオサンショウウオ、動きと口は蛇、皮膚はすけすけのウーパールーパーというとても気色悪い水棲生物に襲われ、華奢なナイフ一本でそれとバトルし、最終的にウナギを捌くときのような格好で固定してやっつけた。というホラーチック且つアクション風味な夢。

2。台風の最中に突然外が静かになって日が射したと思ったら、雲の切れ間から巨大な竜の碧色の腹が見えた。というファンタジーな夢。

3。学校に行って普通に生活している情景を夢に見て、その後数日にわたり何回か似たようなシーンに出逢った。

4。親戚とともに美術館に行ったが、その美術館は水没しており、客は水の中を泳いで鑑賞する。ただし泳げるのは子供だけで、大人は水底を歩いている。水の中でも息が出来、回廊からは、遠くに魚が泳いでいるのも見える。泳げるので美術品を前後左右上下どこからでも見ることが出来る。鉄製の作品はさびているが、それがいい味を出している。作品はほとんどが立体で、絵画はない。


というものです。


1は、シチュエーションが異常すぎますが、それぞれを構成しているパーツは「~のような」と形容できる事からもわかるように、「知っている」ことがらです。それらが組み合わさって、奇妙な事になったのでしょう。

2は、小さい頃に見た夢ですが、当時(今もですが)ファンタジーのお話を読んだりするのが好きだったことと、テレビで放映していた「日本昔ばなし」に出てくる竜に乗っている子供に憧れていた、というのがあると思います。乗ってみたかったんですね。

3は、デジャビュはこうして生まれる、といったところでしょうか。デジャビュを感じる原因は、こうして夢に似たような情景を見たことを、無意識にでも記憶しているからではないかと思います。
もちろん、以前に似たようなシチュエーションになったことがある、とかもあると思いますが。
日常生活をみるのですから、説明するまでもなく、「知っていること」だらけの夢ですね。

4は、潜水が好きであることと、家族親戚と現代美術館に行ったことが混ざったものと思われます。大人が泳げないのは、泳ごうとしないから。ピーターパンの理屈(大人は信じないから飛べない)もあると思いますが。


このように、夢は「知っている」ことがらが繋ぎ合わさって、「まるで知らないことのように思える」のです。
現実にはあり得ない夢を見る、のは、そんなことがあったらいいという願望の表れかも知れませんし、こんなことがあったらイヤだ、という拒否感のあまりにそれをイメージしてしまうのかも知れません。


しかしそれならば、夢を自分でコントロールすることも出来るのではないでしょうか。
眠る前にみたいことについて強くイメージをすれば良いと思います。
「枕の下に写真や絵を入れる」というまじないは、イメージする・意識する手段と思います。


夢の中で、想像の世界で遊んでみるのも一興ですよ。

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記憶

本日のテーマは記憶についてです。

自分の記憶は本当にアテになりません。
興味のあることについてはしっかり覚えてますが、他のことはあんま覚えられません。
非常にやっかいです。

特にやっかいなのが、夢の内容を現実と混同してしまっていることがある、ということです。
小さい頃の記憶のうち、おそらく一割くらいが夢らしいです。
何故分かるのかと言えば、親にその内容を話したときに齟齬があるために分かります。
「はあ?そんなことなかったよ?」と言われてしまうのです。
言われたとき非常に寂しくなります。

しかしその反面、一度しか見たことのない様な物でも、印象に残っていればしっかりと覚えています。
まざまざと思いますことが出来ます。

このムラは何故現れるのでしょうか。

ひとつには、集中ということがあげられるでしょう。
興味のあることについては、人間、おのずと集中できるものです。
「好きこそものの上手なれ」という格言もあるくらいですから、これはかなり確実でしょう。

もう一つには、すでにある知識との繋がりがあると思います。
好きな物については、知りたいと思うし、しっかり覚えているものでしょう。
それはつまり、それほど興味のないことにくらべ、圧倒的にため込んでいる情報が多いと言うことです。
そしてそれらの情報との繋がり、重なりを意識しながら覚えることによって、すでに持っている知識の記憶も強固になり、新しい情報もより覚えやすくなると考えられます。

記憶力を高めるためには、覚える対象を好きになることが手っ取り早いのではないでしょうか。

そしてまた、「自分の夢と現実をごちゃまぜに覚えている」という性質は、自分にとって夢と現実が同等のもの、等価値の存在であったということと思います。
夢は非生産的なもの、非現実、他愛ないもの・・・そのように考える方もいるでしょう。
ですが、時に夢は現実よりも大切なものとなることがあります。
自分の中にしか存在し得ない世界、それが自分を内包する世界と等価値に感じられるのです。
少なくとも自分はそうです。
これについては、夢というテーマでまたまとめます。

過去を振り返るため、現在に生きるため、そして未来に向かうために、記憶は必要不可欠です。
自分で思い通りに記憶できたらなあと思います。


今日はここまで。
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微病弱・酒煙草苦手・甘味党・文系新米教師。
日常的に脳みその中で言葉をこねくり回しています。

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